微笑み地蔵・hiroyomiの日記

発達障害(ASD)、AC当事者。イベント主催情報、発達障害・マイノリティに役立つ基礎知識、お出かけ情報

発達障害に対する偏見問題

おはようございます、ひろよみです。

 

最近ツイッターのタイムライン(TL)で、「発達障害だと1人暮らしできない」「発達障害だと恋人できない、結婚できない」みたいな偏見発言が横行しているらしい。しかもその発言をしているのが支援者で知識ある人が言ってるから驚き。実は私も言われたことが何度かあります。その他にも発達障害ゆえのコミュ障だったり運動が苦手だったり手先が不器用だったりで、会社や学校でのいじめなどもある種偏見ですよね。

 

特に日本では空気を読むとか、協調性を求められる風潮が強いので、出る杭は打たれる的な感覚で発達障害の当事者さんは浮いてしまってあらぬ偏見を受けることが多いと日々感じます。

 

そもそも発達「障害」という言葉自体が偏見を生むのか?「害」という字は「妨げる、じゃまをする、さしさわる」という否定的な意味合いがあるから、その言葉を聞いただけで社会から隔絶されているような感覚になるのかも。かといって「障碍」「障がい」とするのも発音は同じだし、微妙にニュアンスは異なるのかもしれないけど、あまり意味をなしてないような気がする。

 

アメリカでは障害者を「チャレンジド」と呼ぶようにしていて、「神から氏名や課題、あるいはチャンスを与えられた人」として前向きに捉えるようにしているようです。日本ではやはり「かわいそう」「気の毒」「何もできない」というイメージを無意識に持っていて、それが差別や偏見に繋がっているのかもしれない。だから、そのイメージを払拭できるような呼び方を浸透させること、まずはここからですかね。さらには発達障害の特性しかり、社会で活躍できるような配慮なり定型の方と上手くやっていけるような方法をお互いに切磋琢磨していける環境にしていくことが偏見や差別をなくすことに繋がるんじゃなかろうかと思うのです。「障碍者差別解消法」なんて法律を作らなければなくならない差別や偏見をなくしていきましょう。それでは。

 

 

 

40代のメンズに指示されているレザーブランド